DIY STARS
サービス終了のお知らせ

運営会社VEJより

DIY STARSをご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。
2010年に立ち上げた配信システム「DIY STARS」は、約12年の間サービスを提供して参りましたが、システムを維持することが困難な状況となり、 今後も安定的にサービスを提供する事が難しく、ご利用状況を鑑みサービスを終了させていただきます。
発案者である七尾旅人さんに感謝すると共に、DIY STARSの試みに賛同いただいたアーティストやマネージメントの方々、またなにより「DIY STARS」ご利用いただいたお客様に御礼申し上げます。

七尾旅人より

90年代の末尾にデビューアルバムをリリースし迎えた2000年代、CDメディアがどんどん売れなくなる中で、米国発の大手配信サイトが新たなスタンダードを提示しようとしていたが販売の際の縛りが多く、なかなかアーティスト自身の利益や、新しい発想の創作には結びつかず、しかしSNSなども含めて個人発信のための仕組みはまだほとんど存在していない、そんな時代のなかで青春期をすごした。

その頃、最初の結婚をしてからは、ボロアパートで「どうやって家族を守りながら自分の音楽を続けて行こう」と考えた。ブログすらまだなく、使えるツールは限られていたけれど、工夫が楽しかった時代。
前妻のMが、ウェブサイトの基本的な作り方を学んで、僕の描いた星空の落書きを組み合わせたシンプルなホームページ「TAVITO.NET」を作ってくれて、そこを起点に限られたリソースを活かしながら色々なチャレンジをするようになった。トップページは実際の星空を模して北天と南天にわかれており、日記やレビューなど主だったコンテンツの全ては、北の空に浮かぶ北斗七星に集約させた。
メジャードロップ後、なかなか新しい情報を出せずにいたが、この何でも自由に描ける空を手に入れたことで、僕は徐々に活発化していった。インディペンデントでの創作は、僕の気質にぴったりだった。

やがて最初の同世代スタッフとなる、Sくんとの出会い。音楽業界での経験は皆無だったが情熱がすごくて、「こいつとなら奇跡が起こせる」と僕は確信した。イラク戦争が泥沼化し、日本の安全保障をめぐる言説も良からぬ方向へ傾斜しつつあった。ロシアによるウクライナ侵攻に揺れる現在のように。「社会に対峙した巨大な音楽作品を作るんだ」と息巻きながら一緒に3枚組アルバム「911 fantasia」を作った。売り上げは惨憺たるものだったが、数年後に彼がWEBデザイナーのミッチェと引き合わせてくれたことで、何年もがら空きにしてあった南天に浮かべるための最後の惑星「DIY STARS」が、いよいよ実現に向けて動き出した。

ミッチェにはたくさんのリクエストを聞いてもらった。
ZIP形式で、音楽データに限らずどんな作品でも同梱できること。容量に制限がなく、例えば24時間あるような音源でも載せられること。自由に値付けし、即座にアップロード出来ることなど。
彼はとても熱い男で、損得抜きで動き続けてくれた結果、決済手数料として別会社に支払われる5%以外はすべてミュージシャン側にバックされるという、ビジネスとして考えたらスタート地点からすでに破綻している尖りまくったシステムが完成した。

これだと例えば1000円でEPをダウンロード販売した場合、100人ほどの購入しか見込めない尖った音楽性のアーティストでも単純計算で10万円近い収益になる。工夫を重ねながら活動を続けて、やがて1000人が買うようになれば?CD売り上げだけではやっていけなかった作り手にも新たな経路が生まれてくる。
妥協せず、権威とも折り合うことなく己の表現を深めてきたアーティストが、当たり前にそれを続けながら家族を養う姿を想像した。
いちばん最初の段階で思い描いていた事は、Sくんも含めた自分の家族と生き延びていくという事だったけれど、これを他のミュージシャンも参加可能な、もう少し公共的なプロジェクトとして音楽シーンに捧げたいという気持ちが強まっていった。

ただ、運営側にはまったく利益の出ないシステムであり、おそらく世界最小人数で構築していた配信系サービスだったため、その維持は困難を極めた。ミッチェと、彼の所属会社「VEJ」は、売り上げから収益を徴収するのではなく、WEBデザイナーというアイデンティティに基づいて、サイトへのシステム埋め込みとデザイン業務に対して幾ばくかの費用を求めるという方針をとった。そして資本主義下における他のほとんどの商用プラットホームとは異なり「我々のシステム名を表に出す必要はないですよ」というスタンスをとった。「七尾らが考案したDIY STARSの使用者」という見え方ではなく、そのアーティストのホームページから当たり前のようにごく自然に楽曲が直接購入できる、という状態を目指した。僕らが欲しかったのは名誉や発言力ではなく「新しい現実」だったからだ。
なので名前は伏せるが、インディペンデント界隈の実力者を中心として、さまざまなアーティストが印象的なリリースを行ってくれた。
誰でも自分の意思にもとづいて、自由にリリースが行える、これが僕たちの目指すところだった。それは現在、DIY STARSよりも遥かに大きな資本と人員をかかえた様々な同系統サービスの充実によって(いまだ多くの問題は残しつつも)ある程度は達成されているかなと思う。

僕らは驚くほど商売が下手だったが、夢でいっぱいだった。

ミッチェはまったく利益になっていないのに、いつもポジティブだった。僕らは同世代で、日本経済の急落を見ながら育ち、逆風の冷たさには慣れていた。難度の高いアイデアも、彼持ち前の工夫と気合で実装して見せた。

僕は自分の考案したシステムで、いち音楽家として己の表現をし、生活費を稼ぐはずだったが、悪いクセですっかりそれを忘れ、苦労していた友人のアルバムをリリースしたり、2011年からは東日本大震災の支援サイトである「DIY HEARTS」の構築に熱中した。即興演奏などを通じて知り合ったアンダーグラウンドシーンの友人たちが深い想いのこもった鮮烈な作品群を提供してくれた。

そしてこれは、メジャーレコード会社が商品と見做さなかったものたち、
津波で家族を亡くした少女の美しいピアノ作品や、
福島の6歳児が自らの疎開体験をモチーフにして生まれて初めて作った歌など、
オルタナティブな領域でそれぞれの必然性に満ちた輝きを放つ〈特別な作品たち〉を陽の光の下へ解き放つことが出来る、おそらく初めての機会でもあった。

1500万円を超える収益の全ては震災孤児、遺児となった東北の子供たちに寄付された。

2015年にはミッチェに頼み込んでDIY STARSのシステムを援用した新サイト「DIY WORLD」を作成してもらい、アフリカ最貧国のひとつであるモザンビークのスラム街で音楽活動していた青年、ナジャの作品をリリース。彼らの招聘でアフリカを訪ね、路地裏で現地の子供たちと共に歌い、踊った。あらゆるものが欠乏する環境で、楽器から寺子屋まで何でも自作してしまう彼らはまさにDIYだった。

同年に震災の年から抱え込んだテーマのいったんの結実ともいえるパフォーマンス「兵士A」を発表した。
その頃には、妻だったM、そして長年のスタッフであり親友だったSともはなればなれになっていたが、トレンドで推移していくマーケットの俎上に乗れていないもの、社会のメインストリームからは弾かれてしまっている存在や価値に、光をあてたい、その思いはずっと変わることがなかった。僕は取り憑かれたように北へ南へと動き回った。行きすぎた人間中心の価値観と折り合えなくなれば、鳥や昆虫、動物たちとバンドを組み、セッションをした。 当初は、家族のためにつくろうとしたシステムであり、それ以上の何ものでもなかったが、若い時代の空回りする理想や渇望にとらわれ、砕かれて、僕は迷走した。

僕の音楽人生の中で、もっとも輝かしく、もっとも哀しく、もっとも美しい時間をDIY STARSと共に過ごした。12年経っても、冷静に言葉にするのは難しい。
いつかもっとちゃんとした言葉で、この時代をふりかえることが出来る日が来るだろうか。

この頃の発想を引き継ぐ形で、いまコロナ禍のなかでは「LIFE HOUSE」や「フードレスキュー」を立ち上げ、継続してきた。新しい家族と仲間、犬たちが支えてくれている。悪いクセで一円にもならず、ひたすら追い込まれていくプロジェクトばかりだが、僕は本当のやりがいの中で、けして見過ごすことの出来ない誰かのかすかな声に、歌に、出会い続けている。

「利益を度外視した、思想としての配信システム」
普通であれば成立しなかったであろうこのプロジェクトを、ミッチェと、Mと、S、この三人とともに具現化した。
DIY STARSは、僕らが夜空に浮かべた、ちいさいけれどもユニークな、星だった。
そしてそんな僕らを信頼し、サポートしてくれた仲間がいた。
ここで学んだことを、創作活動の中で、人生の中で、繰り返し問い直し続けていくつもりです。
本当にありがとうございました。

2022年3月31日をもって
終了いたします

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